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大阪高等裁判所 昭和42年(ネ)1788号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、

被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠の提出、援用および認否は、つぎのとおり追加、変更および削除をするほか、原判決事実欄の記載(別紙(三)中津運河畔事故一覧表を含む。)と同一であるので、みぎ記載を引用する。

一、原判決四枚目表三行目に「嫁働」とあるのを「稼働」と、同枚目裏最終行目から同五枚目表一行目にかけて「三七八、一一九円」とあるのを「三八八、一一九円」と、それぞれ訂正する。

二、同六枚目裏一〇行目末尾の次に行を変えてつぎのとおり追加する。

「五、被控訴人らは控訴会社に対する予備的請求原因としてつぎのとおり主張する。

控訴会社は被控訴人らの先代亡正行および同愛子との間に旅客運送契約を締結し、同人らを安全に目的地に運送すべき業務上の善良な管理者の注意義務を負いながら、みぎ注意義務を怠り事故を発生せしめて同人らを死亡せしめ、みぎ運送契約を履行しなかつたので、運送契約不履行に基く損害賠償として、本件請求(主たる請求と同額の請求)をする。」

三、同一一行目冒頭に「五」とあるのを「六」に改め、同行目末尾の次に、行を変えて、つぎのとおり追加する。

「控訴会社の抗弁事実は事故現場の地理を除いて全部否認する。本件事故発生時には雨は降つておらず、かりにそうでなくても小雨の状態であつた。また、運転者高尾はみぎ事故発生当時前照灯はスモール灯(減光灯)をつけていたのであつてラージ灯(全照灯または普通灯)をつけていなかつた。仮にラージ灯をつけていても、なおかつ、一〇メートルにも足らぬ前方にあつた運河が見えなかつたと云うのであれば、自動車のラージ灯は進路前方一〇〇米の距離にある交通の障害物を確認できる性能を要求されている(昭和二六年七月二八日運輸省令第六七号道路運送車両の保安基準三二条二項二号)から、みぎ一〇メートル未満の前方の運河の存在も照し出せないラージ灯はその機能に障害のある不完全な前照灯であつて、このような前照灯をつけていること自体が既に控訴会社に過失がある場合に当るか、または事故車の機能に障害がある場合に当る。また、本件事故車は事故発生当時相当高速度で走行していたものであつて、(1)、現場で訴外亡正行らの左右の指示に従つて方向転換したと称しながら現場にはこれに応ずる回転をした跡が極めて僅かしか存せず、(2)、その後直進して中津運河の存在を四米位前で知覚しながらスリップ跡が六〇センチメートルに止まり、(3)、高尾自身が入院を要する重傷を負つたほか、本件事故によつて死亡した同乗者宮崎葉子および西井愛子もそれぞれ数箇所に可なりの打撲傷挫傷等を受けており、(4)、本件事故車の水没していた位置が同車の転覆位置より可なり北に寄つている。これらの事実に徴すれば、同車が弱ブレーキをかけただけで、相当高速度で走行してきた惰性で転覆後も進行をやめなかつたことを示しており、またみぎ事故車の事故発生当時における速度が相当高速度であつたことを知ることができる。

本件事故発生現場は控訴会社営業所から淀川をはさんで約一、五キロメートルの近距離にあり、みぎ営業所から大阪市内に向う場合には事故現場の真西にある長柄大橋を最もよく利用していたのであるから、高尾は、事故現場はもちろん長柄大橋を渡つて南行する場合には中津赤川線道路までの間に東西に通ずる広い道路が存在しないことを知つていたはずである。したがつて、本件事故の際に中津運河を東西路面の一部と錯覚したのは全く高尾の注意義務をつくさない過失に基づくものである。」

同七枚目表一二行目末尾の次に、行を変えて、つぎのとおり追加する。

「本件事故が被害者亡正行らの指示により、訴外高尾が事故車をみぎ指示どおりに動かしたことによつて生じたものであることは否認する。みぎ運転はみぎ被害者の指示にしたがつたのではなく、高尾が勝手に左右に方向転換したものである。」

四、同枚目裏一行目冒頭から同八枚目表八行目末尾までの記載をつぎのとおり変更する。

「一、自賠法三条但し書き所定の免責事由、

本件事故は、控訴会社または事故車の運転者高尾が自動車の運行に関し注意を怠つたことによつて発生したのではなく、もつぱら現場附近の道路管理者である大阪市の道路管理上の過失と被害者正行らの過失の競合によつて発生したもので、事故車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。

(一)  控訴会社または事故車運転者高尾に自動車の運行に関し注意義務違反がなかつた。

本件事故車は、夜間降雨中を、本件現場である変形四叉路に向つて、同交叉点から東南に通ずる道路上を東南から西北方向に進行して来て、東西路との交叉点に差しかかつた際には、減速して時速一〇粁以下で徐行し、前照灯も普通灯(ラージ灯)のまま減光せず、運転者高尾は前方注視義務を怠つていなかつたのである。みぎ現場附近は、変則的な四叉路になつている上に東西道路の北側に副つて中津運河が通つていて危険な箇所であるのに、道路管理者である大阪市が現場に照明灯や夜光塗料を塗つた危険標識も設置していないため、降雨の夜、濃霧の夜等薄明かりのない暗夜には前記運河もまた東西路の一部であるとの錯覚を生じ易い場所であつたので、折から事故車を運転して現場にきた高尾も降雨ともやのために前記運河を東西路面の一部であると錯覚していたのである。そして被害者正行らが右折するように命じたので、訴外高尾が事故車を約二・八メートル進行させて東西路に進入しかけた時、正行らが再度左折するよう命じたので高尾は即座に左に転把しつつ約九・八メートル進行したが、その地点で突如東西路に接して目前に中津運河があることを発見し、直ちに急停止の措置を採つたが、前記東西路はその中央部から北側が中津運河に向つて下り勾配になつていてその高低差は約五〇センチメートルもあり、その上現場附近運河岸には防護柵等が設置されていなかつたばかりでなく降雨のため路面が滑り易くなつていたために、その時既に前記運河に向つて下り勾配面上にあつた事故車は、右前車輪から運河に転落し、重心も事故車の前部に移動して制動装置も無効に帰し、本件事故の発生を見たのである。

(1)  本件転落事故発生直前の事故車の速度について、被控訴人は「猛スピード」「高スピード」または「相当なスピード」であつたと主張するが、本件事故車は、転落直前に被害者正行らが「右だ」と云うので右にハンドルを切り、その瞬間「いや左だ」と指示したので、ギヤーを切り変えてローにした関係から、スピードはいやが応でも相当に減速せざるを得ないこととなつたので、転落直前のスピードは時速約一〇キロメートル前後であつたのである。

本件事故現場附近の過去の転落事故の例を見ると、相当なスピードで走行中に転落したために、かえつて自動車が転覆しないままの状態で水上に落ち、沈没までに相当な時間的余裕があり且つ乗車者の姿勢も崩れずそのままであつたために、乗車者が車外に脱出することができた例もあつたのである。しかるに、本件の場合には、事故車が転落の瞬間には運河岸の線に対しやや斜に進んでいたのと事故車のスピードが非常に低速であつたために、勢にのつてそのまま運河上に突進するような事態が生ぜず、かえつて、先づ右前車が運河に落ち、そのために車の重心が右に傾き、そのままの姿勢で前に進んだために右方に転覆しながら水中に落ちて行つたのである。みぎのように本件事故車が転覆した事実から見ても当時の事故車の速度が一〇キロメートル前後であつたことを知ることができる。

(2)  被控訴人は本件事故車が前照灯を減光していたために、運河を道路面と錯覚する事態が発生したと主張している。しかしながら、事故車運転者高尾は事故発生直前には前照灯をいわゆるラージ灯(全照灯)にしていたのであつて、スモール灯(減光灯)にしていたのではない、甲第二五号証中の吉岡供述に事故車が前照灯をスモール灯にしていたと述べているのは、尾灯をスモール灯と誤認したものである。何となれば、転落後の自動車の水中での姿勢、位置、向き等から考えて、訴外吉岡がみぎ自動車を見た位置(河岸道路面上)からは尾灯のみが見え前照灯の光は見えにくいからである。

仮に本件事故車が事故発生当時減光灯で走行していたとしても、本件の場合のように穴ぼこだらけの道路であり、雨天でもやがかかつており、しかも時速一〇キロメートル以下の速度で走行している場合には、減光灯で走行したことは運転者の過失には該当しない。けだし、本件事故発生時には、降雨ともやのために普通灯で走行していても運河対岸まで光が届かず、対岸を見ることができなかつたし、仮に対岸を見ることができたとしても、その手前に中津運河があるということは地理不案内の運転者高尾には認識できなかつた関係にあり、したがつて、高尾が普通灯で走行していても、前記当時の状況下では本件事故は避け得られないものであつたからである。

(3)  前記運転者高尾の錯覚は事故現場附近に照明灯や危険標識がなく且つ降雨と靄のために前照灯の照明距離が短かい暗夜には必然的なものであつて、高尾自身の過失によるものではない。本件事故現場附近の道路と運河の地形状況は特異なもので、地理不案内の運転者高尾はみぎ地形状況について全く予備知識がなかつたのであるから、前記の情況下において、運河を道路面の一部であると錯覚するのは当然のことであつた、このような錯覚を起した原因は、もつぱらこのような危険な場所に照明灯等危険防止に必要な施設を設けなかつた道路管理当局の過失によるものである。

(4)  運転者高尾がみぎのような錯覚をした以上、同人が進路の前方を確認しなかつたのは同人の過失には当らない。けだし、山道や特に危険な道路である場合であればいざ知らず、普通一般の道路を走行する場合には、このような錯覚に陥つた運転者は道路前方の状況を確認する必要を感ぜず、一一下車調査する等特別な確認措置を採らないのが普通である。そして、運転者がこのような場合に前方の状況を確認するために特別な措置を採る必要を感じなかつたのを目して運転者の過失と云うのは、余りにも運転者に対して厳且つ酷に過ぎるからである。

(5)  運転者高尾は現場附近の地理に不案内であつたために前記錯覚をおこしたのであつて、みぎ地理不案内は高尾の過失には当らない。控訴会社と事故現場とは一、五キロメートル以上も離れ、しかも淀川を隔てているところ、淀川左右両岸をつなぐものはこの附近には長柄橋一本しかないから、本件事故現場附近はその附近の客でも送らぬ限りタクシー運転者としては通行することのない場所であつたのである。したがつて高尾が本件現場附近の地理に不案内であるのはやむを得ないことである。また、長柄橋を何一〇回何一〇〇回タクシーで通過しても、その南詰の下に本件運河が流れていることを覚知している人は殆んどない。それ程に本件運河の存在は橋の上からでは判りにくいから、高尾が運河の存在や本件事故現場の模様を知らなかつたのは当然であつて、みぎ知らなかつたことについて過失なく、したがつて前記錯覚をおこしたについても過失はない。

(6)  控訴会社には事故車運転者高尾の選任監督等について過失はない。

(イ) 訴外高尾は昭和三五年七月三〇日第一種大型(トラック)自動車の運転免許を受け、その後四年間トラックの運転業務に従事していた。

(ロ) 同人は昭和三九年六月一日に控訴会社にタクシー運転者の志願をして来たので、控訴会社は考査した結果タクシー運転者養成員として仮採用したものである。みぎ考査の際の考査表には「地理不充分経験不足」としてあるが、いずれも志願当時のことで、同人はトラック運転をしていたためにタクシー運転者としては大阪市内の地理の知識不十分で経験もないと云う意味である。また同考査表に「実地試験の結果充分とは云えず指導を要す。」とあるのは、これまたタクシー運転手としては不充分であり、タクシー運転手としては特別指導を要すと云う意味である。つまり「乗用車に不なれによるものと思われ、気質温和で勤労については真面目なものと思料された」のであるから、控訴会社による運転者選任に過誤があつたと云うことはできない。

(ハ) 控訴会社は同人をタクシー運転者として養成した上で本採用の採否を決することとし、昭和三九年六月一日養成員として仮採用し、直ちに都島自動車学校に入学させたところ、同人は同月二三日に普通第二種免許(事業用乗用車運転免許)を得た。

(ニ) 更に同月三〇日まで、控訴会社は訴外高尾に、タクシー運転およびタクシー営業を見習わせるために、同訴外人に対し同乗指導をした。そしてタクシー運転の同乗見習期間は通常一週間をもつて終るのが普通であるから、みぎ一週間をタクシー運転者見習としては短きに過ぐると云うことはできない。

(ホ) 控訴会社は高尾が見習期間を終つたので、同年七月一日附をもつてタクシー運転者として試験採用し、同年一〇月二一日附で正式採用し、その後同人は本件事故発生まで一年八月を無事故で過している。

以上の経過のとおり、控訴会社が訴外高尾を養成員として仮採用した当時における同人の「不充分」は、本件事故発生当時における同人のタクシー運転者としての不適格を意味するものではない。

(7)  控訴会社が高尾を長時間勤務させ疲労状態で勤務させた結果、本件事故を発生せしめた事実はない。

大阪府下一円のタクシー業者約二〇〇社中、運転者の勤務時間を午前八時から翌日の午前二時までとするものは九〇%である。この勤務時間制については、大阪労働基準局の承認を受けており、且つ昭和四二年二月九日附の労働省労働基準局長から府県労働基準局長宛の基発第一三九号の労働時間基準内容にも合致するものであつて、なんらの違法性もない。且つ翌日は全休になつているので運転者にとつてはそれほどの疲労も生じない。本件の場合も、高尾は本件事故当時疲労しておらず、もし疲労しておれば本件事故後同人が示したような意欲的な救護作業は到底できないはずである。それ故に控訴会社の勤務時間制度が本件事故の原因でないことは明白で、この点について控訴会社に過失があると云うことはできない。

(8)  本件事故発生現場は後述のように過去においても本件と同様の原因による事故が度々発生した危険な場所であるが、控訴会社は本件事故現場がみぎのような危険な場所であることを本件事故後に知つたので、本件事故以前に従業員にそのことを周知させることは不可能であつた。

以上のとおり、本件事故に関しては、事故車の運転者および控訴会社になんらの過失もなかつたものである。」

五、みぎ変更の次に、行を変えて、「(二)、道路管理者および被害者の過失」と追加し、行を変えて「(1)、道路管理者の過失」と追加し、行を変えて、同八枚目表九行目冒頭(但し、「(二)、」との記載を削除)に続け、

同九枚目表五行目冒頭の「(三)、」との記載を削除し、その跡に「(2)、被害者らの過失」と追加し、行を変えて、同行目の「又正行等が」との記載に続け、

同一〇行目冒頭から一二行目末尾までを削除する。

六、みぎ削除した次に、つぎのとおり追加する。

「二、過失相殺の抗弁

仮に、控訴会社の自賠法三条但し書きによる免責の抗弁が認められないとするも、本件事故被害者らには前述したような過失があり、みぎ過失によつて本件事故が発生したから、控訴会社の賠償責任は被害者の過失の相殺によつて軽減さるべきである。」

七、証拠関係〔略〕

理由

当裁判所は、原判決と同様に、控訴会社は被控訴人西井徹に対して金一〇六九万三、一九五円、被控訴人西井洋子に対して金一一二九万三、一九五円、およびみぎ各金員に対する昭和四一年四月一日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払うべき旨の被控訴人らの請求を認容するものであるが、その理由は、つぎのとおり追加、変更および削除をするほか、原判決第五争点に対する判断の項の記載(原判決一〇枚目最終行目冒頭以下、別紙(一)(二)損害算定表を含む。)と同一であるので、みぎ記載を引用する。

一、原判決中証人とあるのをすべて原審証人と改める。

二、原判決一一枚目表八行目に「前照燈を減光せずに」とあるのを「前照灯を減光したまま」と変更し同一二枚目表三行目冒頭以下同一三枚目表四行目末尾までの記載をつぎのとおりに変更する。

「以上認定の事実と、原、当審証人高尾十太郎の証言によつて認められる本件事故当時中津運河の水面は東西路の同運河岸から約五〇センチメートル下つたところにあり(従つて同路の中央から約一メートル下方)、高尾が東西路にさしかかつた際には降雨ともやとのために前方一帯がぼんやりとかすんでいて、同人は広い道路に出たが本件道路(事故車が走行してきた交叉点から西南方向に通じている道路)は東西路と交叉してそのまま北西へ通じているものと思つていた事実、同人が同運河北側の淀川堤防を認識していなかつた事実および同人が過去においてみぎ地点を通つた経験がなく同所附近の地理に不案内であつた事実、成立に争いがなく、記載された供述内容も真実を述べたものと認める甲第二五号証に徴して認められる本件事故車が事故後程ない項中津運河水中で前照灯を減光した状態であつて、陸上に引きあげた後もその状態が認められた事実ならびに原審検証の結果明らかなように本件東西路と中津運河の幅員を併せると二四・四〇メートルとなる事実とを総合すると、高尾は東西路に差しかかつた際に突然前方にもやのかかつて見透しのきかない広い場所が開けたのを認めたのであるから、同所附近の地理にくらく且つ客席に被害者らを同乗させて事故車を運転していた同人としては、大阪市内のこのような場所に街灯一つない幅員二四・五メートルもある広い道路があるはずがないことに考え及んで、慎重に進路前方の道路状況を確認し、場合によつては一旦停車して下車歩行する等して、危険のないことを確かめた上で進発すべき業務上の注意義務があるのに、注意力散漫なために漫然と中津運河を東西路の路面の一部と錯覚し、みぎ錯覚のために進路前方を確認する必要がないものと速断し、進路前方確認のために前照灯をラージ灯とすることもなく、前方の道路状況も十分に確認しないままで東西路に進入した過失によつて、中津運河の発見が遅れ、これを発見したときには既に遅く、前述のように現場の地形のために事故車の運河中への転落を防止する方策のない事態に陥ち入つてしまつたものであることを認めることができる。〔証拠略〕中みぎ認定に反する部分は措信しない。そのほかにはみぎ認定を覆すに足りる証拠はない。

控訴会社は、訴外高尾が本件現場附近の地理に不案内であつた上に、現場附近には照明灯や危険標識等の設置がなく、事故当時には降雨中でもやがかかり前方の見透しが悪るかつたので、運河のあることを識別し難い状況にあり、地理に不案内の者であれば何人でも前記高尾がおち入つたような錯覚をおこすような状況にあつたのであるから、同訴外人が錯覚におち入つたことには過失はない。そして、このような錯覚におち入つた者は道路前方確認の必要があるとは思わないのが当然であるから、訴外高尾が前方確認の措置を採らなかつた点にも同人の過失はないと主張する。

しかしながら、同乗者のある自動車を運転中の運転者は、何時、いかなる場所、いかなる情況のもとにおいても、進路前方を確認する義務を怠ることはできない。地理不案内のため道路の形状を知らないことや、天候のため前方の見透しが悪るいことや、照明灯、危険標識等がないために道路前方の危険の存否が判明しないことは、運転者のみぎ進路前方確認義務を加重する要素になりこそすれ、これを軽減するものではないから、自動車から下車して歩行して見ても覚知することができない路面の欠陥や瞬間的に突如として発生した天災地異の場合ならいざ知らず、慎重な注意をはらえば予知することができる危険を注意力散漫のために予知し得ないのは、自動車運転者としての注意義務を果たしたものと云うことはできない。

本件の場合には、事故車の運転者高尾は慎重に自動車の進路前方の状況を確認した上で自動車を走行すれば本件事故の発生を未然に防ぐことが可能な場合であつたから、同人が事故現場附近の地理を知らない上に、照明灯なく、降雨中でもやがかかつて見透しのきかない天候の下に、異常に広い道路に出て来たのを認識した以上、当然大阪市内のこのような場所に街灯一つとしてないこのような広い道路があるはずがないことを想起して、進路前方の確認をあらためてなすべきであつて、運河水面を東西路道面の一部と錯覚して漫然と進路前方の確認の必要がないものと誤信したからと云つて、運転者に過失がないとする理由にはならない。けだし錯覚をおこしたこと、また前方確認の必要がないと思つたこと自体が既に運転者としての注意義務を怠つた結果であり、またみぎ錯覚や誤信のために進路前方の確認を怠ることも運転者としての注意義務違反であるからである。

自賠法三条但し書きの場合は、事故車を運行の用に供した者は運転者および自分に過失がないこと、事故が第三者または被害者の過失によつて生じたこと、事故車に構造上の欠陥または機能の障害がなかつたことの三要件の存在を証明してはじめて損害賠償の責任を免れることができるから、前述のように事故車の運転者に過失があることが認められる本件の場合には、他の要件の存否について判断するまでもなく、事故車を運行の用に供した控訴会社は本件事故による損害の賠償責任を免かれることはできない。殊に本件の場合には訴外高尾の事故車運転上の過失が本件事故発生の一因となつていることが認められる以上、仮に道路管理当局の道路管理上の不備が本件事故発生の一因となつたとしても、そのことは本件事故による損害についての控訴会社の賠償責任を減免する理由となるものでない。」

三、原判決一七枚目表七行目より九行目まで四、原告らの相続と題する部分をつぎのとおり訂正する。「被控訴人らが正行の実子として正行の財産を各二分の一宛相続により承継取得したことは当事者間に争がない。愛子が正行の妻で被控訴人らの母であることは控訴人が明かに争わず自白したものとみなされ正行と愛子はいずれがさきに死亡したか不明であるから同時死亡の推定があり愛子は正行を相続することはないわけである。」

四、原判決一七枚目裏二行目の「認められるけれども、」との記載の次に、「タクシーの客である正行らは単に自動車の走行すべき方向を指示しただけのことで、事故車の具体的な運転は運転者高尾の責任の下に同人の判断と技術によつてなさるべきものであるから、」と追加挿入する。

以上の当裁判所の判断と同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がない。よつて、民訴法三八四条九五条八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 長瀬清澄 古崎慶長)

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